top of page
忘日舎のこと
私的なことですが、本と言葉をめぐっての場所をつくりたいと思ってから、もう4年以上が過ぎてしまいました。
柳田國男によれば、「褻」は日常のことだそうです。それにしても、いっそうの暗澹さをまとった「褻」の気配が、あの震災のあとに、そしていま、さらに強く感じられるというのは、はたして言い過ぎでしょうか。
電車に乗って見かける過剰な見出し。他者への悪意に満ち満ちた「嫌」や「呆」といった文字。「まつりごと」をつかさどる人間たちの、まるで響くことのない、かりに強くいうことが許されるなら、空疎にもちかい、彼らのはなすこと。歴史というふかい時間のなかで思考され、記され、読み手とともに育まれたはずの本の言葉たちは、そうではありません、と沈黙のうちにたたずんでいるような気がしています。
どうすればいいのだろうか?
*
忘日舎では、匂いや手ざわりのようなものも大事にしたいと考えています。薄く靄がかかった曇空の下でゆっくりと流れる川の匂い。異国の駅舎で列車を待っているときの、ぼんやりとした時間。森の中で屹立する、ざらついた樹木の手ざわり――感覚的で、言葉にはできにくいけれど、しかしそれが豊かな何かにつながっていくような場所を、本という存在とともに、目指したいと考えています。
言葉に触れることでうまれる力が、気づかぬうちに、自分のなかを流れる血になっていくような場所。この小さな場所から、楽しく、しかしそれだけではない何かを作り出すことができるなら、これ以上の幸せはありません。
忘日舎をはじめます。
2014年3月(2015年9月一部改稿、2020年2月一部改稿)
忘日舎 | the bookstore for something not told #書店 #古書店
bottom of page